2011年04月24日
決して表には出ない、かくれた災害派遣活動
4月ももうそろそろ終わりが近づき、桜も徐々に葉桜になりつつありますね
今回は「自衛隊地方協力本部」という組織が、災害派遣の最中にどんな活動をしていたのかについてお知らせするページを開設いたしましたので、ご連絡します
(名称はベタなもので申し訳ありませんが、「災害派遣活動記録」とつけさせて頂きました。色々な活動を連載物として掲載していきますので、ちょこちょこと観に来てください)
私の勤務する宮城地方協力本部は、平時は県民の皆さんと自衛隊の架け橋としての各種業務を行っております
(その中の主要な仕事としてあるのが、「自衛官の募集」、「退職自衛官の再就職支援」、「即応予備自衛官・予備自衛官の方々のケア」や「自衛隊の活動に関するPR」等です)
災害派遣といえば、皆さん「人命救助」や「生活支援」などが、テレビや新聞等のマスコミに取りあげられてイメージしやすいでしょうが、我々「自衛隊地方協力本部」も、実は現場で活躍する隊員たちの影で様々な仕事を行っております。
この記事をみていただくことで、一言で「自衛官」とか「自衛隊」といっても、本当にいろいろな仕事があることをわかってもらえるのではないでしょうか
「災害派遣活動記録」の入口ページです。その他に、私達の平時の活動をご紹介するページもあります。
続きを読む2011年04月15日
宮城地本のWebサイトに写真館開設!
あの大地震から1ヶ月以上が過ぎ、余震が続いていますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか
被災して家族やおうちをなくされた方から、軽微な被害で済んだ方まで様々でしょうが、我々としては毎日の活動の中で色々な地域を見ていくに、1日1日、そして一歩一歩、この宮城県が復興に向かって進んでいることは間違いないと感じる今日この頃です
今日は災害派遣活動を通じての記事から久しぶりに離れて、私達、自衛隊宮城地方協力本部の公式Webサイトに「写真館」のページを新設しましたのでお知らせします
このページは、前々から私の中で構想はあったのですが、なかなか進まずに中断していたものです
しかし、今回ようやくうちの「なおきち」君の日々の努力が実を結び、(彼は上司である私に事あるごとに、早く作れだの、あーせい、こーせいだのと言われ続けていました・・・)最近ようやくお披露目に至った次第であります
現在、「写真館」の中にあるのは今回の震災をテーマとした「災害派遣写真館」と公募予備自衛官の方々の活躍を収めた「公募予備自衛官」のページの2つです
(ちなみに、最近、テレビの放送で「予備自衛官」という人たちの存在を知った方もいるのではないでしょうか)
もちろん、まだまだ立ち上げたばかりですので、これからどしどし内容の方を充実させて行きますので、楽しみにしていってもらえればと思います
ぜひ、一度サイトに来て、普段は知ることのできない自衛隊について見てみてください
下の写真をクリックすると、Webサイトへジャンプします
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2011年04月03日
被災地に声は届いているのか?
発災から約3週間過ぎ、行方不明になられた方々の捜索と並行して、避難生活をされている方々への生活支援活動が行われております
被災地の方々の中には、すでに元の生活に戻りつつある人もいれば、家や家財道具、さらには漁船などの仕事道具、そして職場にいたるまで津波で流されたことで「財産」すべてを失い、途方にくれている人までおり、皆さんさまざまな状況にあります。
そして、連日連夜、TVでこの東日本大震災に関する放映がされており、最近ではプロスポーツ選手やタレントのみなさんが被災地の希望を失いつつある方々に対する応援メッセージを送られています。
(もちろん、TVだけではなくネットでの応援も多数されているようです)
しかし、これらの情報発信や応援メッセージは本当に被災地の人たちに届いているのでしょうか
私も被災して初めて分かりましたが、現在の日本ではインフラが麻痺すると全く情報が入ってこない状況に陥ります
それはなぜかというと、理由は簡単、「停電」になるからです
「停電」になれば、当然TVは写りませんし、ノートPCでなければネットにも接続できません。(ノートPCも充電が切れればそれでおしまいです)
したがって、あっという間に情報不足になります。
「でも、停電は2~3日すれば直るでしょ?」と思う人もいるかと思われます。
ここで皆さんの住んでいる生活環境の違いから、被災地に関する認識に齟齬が生じます。
忘れてはいけないのは、皆が都会にすんでいる訳ではないことです。
日本にはまだまだコンビニがなく、個人経営の雑貨屋さんがその代わりをつとめている地域や、自宅のトイレは汲み取り式、ガスはプロパンガスが主流で、水道は井戸水といった地域もあるのです。
当然、そういう地域は、元来、インフラが弱いため、電線が切れてしまえばしばらくの間停電が続き、ネット用のアンテナも少ないのでネットBOOKで情報を得るにも通信状態の良い場所は限定されていますし、更には交通路も限られているために、一旦道路が塞がれてしまうと電池の仕入れすらままならないという状態がしばらく続くのです
このようになると、特に都市部に住んでいる人たちが被災地の方々のために送っているつもりになっている「応援のことば」も、実は被災地(特に被害の大きい地域)の方々には、必ずしも届いていない場合もあるのです
では、どうすれば良いのでしょうか
私が今のところ思いつく方法は1つしかありません それは、できるだけ直接的に、かつ残る形で「生の声」を届けるということです
手段としてはいくつかあるでしょう。届くまでに時間はかかりますが「手紙」も有効でしょうし、最近は被災地のほとんどの地域で携帯電話がつながるようになってきたので、PCがなくても通話や携帯のネットで「生の声」を届けることもいいと思います
でも最善なのは、「できるだけ現場で直接会って声をかける」ことだと思います
このようなこともあり、私たち自衛官は生活支援などで被災された方々と接する場合に、単に物資を運んで渡して終わりというのではなく、できるだけ「励ましの言葉」などを掛けるようにしています
給水支援中に母子に声をかける陸自の女性隊員
避難所から自宅に戻られた年配者に必要な物資を訪問して尋ねる空自隊員
ご老人の訪問ケアをする陸自医療部隊の隊員
「人と人の触れ合い」
おそらく孤立した方々にとって我々「自衛隊が助けにくれた」ということだけでも安堵感をもってもらえるのでしょうが、それにちょっとした一言と配慮を加えることだけでも、「暖かい気持ち」や「希望」をもってもらえるのではないでしょうか?
2011年04月01日
石巻市の現状
つい先日、業務の関係で石巻市に足を運びました
テレビでも放映されていましたが、実際に目にする街の現状は想像以上にひどいものでした
至るところに津波で流されてきた流木や車、そして建物のがれき等が散乱しており、自衛隊が道路を通れるように作業を行ったことで、ようやく車が通行できる状況になっているような感じでした。
ただし、避難所にはまだまだ多くの人たちがいるのですが、徐々に自宅に戻り生活をしている人たちも増えつつあるのは、日に日に復興へと一歩前進している兆しではあるようです
しかし、こんな石巻市にも未だ問題が存在しているようです。
現地で勤務している知り合いの自衛官に話しを聞いたところでは、それは「避難所から各家庭に救援物資が届いていない」ということでした
なぜこのようなことが起こるのでしょうか現状では自衛隊が行っている輸送支援や民間のボランティア輸送の協力もあり、「避難所」にはかなりの物資が全国から届いています
なのに避難所から各人の自宅に物資が届いていないのです
つまり、通常の流通では避難所から自宅に配送するところまでは支援できないということになります
じゃあ、自宅から出て、避難所に物をとりにいけばいいじゃんと思う方が多いのではないでしょうか?
けれども、話はそう簡単にはいきません 現地では警察官が様々な業務に追われて不足し、グループで窃盗を行うなどの犯罪が横行しています
そして、家を空けるということは窃盗団にねらってくれと言っているのと変わりがないのです
(最近は警察官が他県からも増援され、一時期よりはかなり治安が改善しているとは思いますが・・・)
それでは、どうすれば良いのでしょうか
考えられる方法としては、2つあります。
まず1つ目は、「市の職員や警察・自衛隊などが各家庭を訪問し、必要な物資を配達する」というものです。
ただし、これには莫大な労力がかかります。
避難所の数が200近くあることからも分るように、石巻市は非常に広いため、このような方法をとるには市の職員や警察・自衛隊に加えボランティアなども含めて、総力で配達する必要があるでしょう。もちろん、そうした場合には自衛隊や警察は本来の仕事である、がれきの撤去や行方不明者の捜索などはできなくなってしまう可能性があります
そこで2つ目の手段として考えられるのは、「各町内会等のコミュニティが自分達で協力しあって治安を維持し、物資の不足している家庭に援助を行う」というものです
つまり、大災害などで行政機能や治安機関が一時的に麻痺状態にある場合には、町内会などの自治会に加入している人たちが協力し、メンバーの中で役割分担を決めて互いに助け合うことで、より安心した生活を自分達で作りだすことができるようになるのです
ここでコミュニティでできることの一例を挙げるとすれば、次のようなものがあるのではないでしょうか
例えば、自警団をつくって町内をパトロールして治安を維持するですとか、どこの避難所にどのような物資が運び込まれるか情報を収集して、コミュニティのメンバーにチラシを作って配布することで、その情報を提供するなんていうこともできるでしょうし、病人やお年寄りのいるご家庭には配達チームを作って物資を宅配したり、もっと人間関係が親密であればヘルパーをしてあげるなんていうこともできると思います。
(このようなことをしていくには、当然、被災しているからといって、「自分達は何もできない」と思うのではなく、「自分達ができることは自分達でやっていこう」という気持ちが重要であることは言うまでもないでしょう)
また、この2つ目の方法は、実は「東松島市」では実践されている方法なのです
東松島市は、石巻市に隣接する市ですが、石巻市と同じように津波の被害を受けました
しかし、市の職員と自衛隊・警察などの働きに加えて町内会が上記のように機能したおかげで、他の津波被害のあった地域と比較して、かなり早いスピードで復興しつつあるのが現状だそうです
近年、東京や仙台などの都会では、「町内会」のようなコミュニティはだんだんと形成されない傾向にあります。
(皆さんも、マンションに住んでいる隣の人の顔も知らないなんていうのは、もはや当たり前なのではないでしょうか)
今回の震災の教訓からいえることは、日頃「面倒だなあ~」と思っているご近所つきあいですが、震災発生時には、お互いに助け合うことのできる頼もしい関係を作りだす大切なものだということなのではないでしょうか